「日刊オゼ☆ケン」通信 THE 2nd

「日本一の刃物のまち」前岐阜県関市長「尾関健治」(オゼ☆ケン・オゼケン)の政治活動通信

11月21日のブログ「陸軍病院南風原壕群20号、平和祈念公園、ひめゆりの塔、旧海軍司令部壕、沖縄料理」

今朝は午前6時35分に自宅を出て、中部国際空港へ。

余裕を持って出たつもりでしたが、途中、事故渋滞等もあり、空港に着いたのはフライト時刻の20分前。

 

保安検査場を通るのが20分前を切ったので、

 

 「おぜきけんじさま〜」

 

と空港内に放送がかかってしまいました(苦笑)。ご迷惑をおかけしました。

 

明日、沖縄で開催される全国土地改良大会に出席するため、今日は移動日。

 

本来は団体行動で、県土地改良協会の事務所に集まり、昼食をとり、バスでセントレアに移動し、飛行機に乗り、那覇空港からホテル、懇親会・・・という流れ。

 

これでは折角の沖縄が勿体無く感じたので、ご無理をお願いして、私は早い時間の別フライトを予約してもらい、午後からはひとりで沖縄戦跡をまわることにしました。

 

午前11時10分過ぎに那覇空港に到着。

ちなみに、機内はほぼほぼ満席でした。

 

レンタカー会社の送迎バスに乗って営業所に移動して手続き。

 


↑ レンタカーは日産ノートでした

 

まずは南風原文化センターへ。

沖縄陸軍病院南風原壕群20号の見学のためですが、まずは文化センターにて展示や紹介DVDなどで事前学習。

 


↑ 壕内のベッド・患者等の復元模型

 

20号壕は、ガイドの方と一緒でなければ入ることができないため、午後1時からガイドの方の案内をお願いしました。

 


ひめゆり学徒が患者にご飯を運んだ「飯上げの道」


↑ 壕内は暗くて、写真が上手く撮れませんでした

 

11月下旬でも壕内は湿気が多いですし、天井も低く圧迫感があり、15分くらい壕内にいるだけで、早く外に出たい、と感じるほど。

当時の凄惨な状況は、筆舌に尽くし難い、の一言。

 

1時間15分ほどかかってガイドツアーは終了。

 

その後、沖縄県平和祈念公園へ。

 


↑ 公園内にある「岐阜県の塔」・・・ここでお祈りすることがメインの目的のひとつ

 


沖縄戦で亡くなられた方の氏名が都道府県ごとに刻んであります

 


↑ 平和の火

 


↑ 平和祈念資料館にて、沖縄戦の常設展示も見学

 

次に、ひめゆりの塔ひめゆり平和祈念資料館へ。

 

 

館内は撮影禁止でしたが、犠牲となられた一人ひとりの顔写真や人となりの紹介が展示してありました。

改めて一人ひとりの人生・家族に想いを馳せつつ。

 

最後に、旧海軍司令部壕へ。

 


↑ 司令官の大田實・海軍少将

 

沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ

県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ 賜ランコトヲ

 

海軍次官宛の電文がよく知られています。

 


↑ 大田實・司令官等が自決した司令官室

 

陸軍病院壕と同様、こちらも地下壕で圧迫感を強く感じます。

別部屋のひとつには、壁に手榴弾で自決した際の破片がめり込んだ多数の跡もありました。

 

沖縄に向かうフライトで、「沖縄戦 二十四歳の大隊長 伊藤孝一の戦い」を読み終えたのですが、「失敗の本質」を思い出しました。

 

 

 

レンタカーを営業所に帰して、バスで那覇バスターミナルへ。

 

そこから歩いて宿泊先のホテルにチェックイン。

 

午後6時半過ぎ、ホテルロビーで松下政経塾OBで那覇市の上里ただし・市議会議員と合流。

松下政経塾入塾は私の方が早いのですが同い年です。

 


↑ 沖縄料理のお店に連れていってもらいました

 


↑ にんじんしりしり・・・初めて食べましたが美味しいですね


ミミガー・・・豚の耳


↑ 刺身の酢味噌和え


↑ フーチャンプルー


海ぶどう

 

生ビールを野んでから、途中で泡盛に切り替え。

 

地元のお酒はその土地で飲むとやはり美味しいですね。

 

お互いの近況や、沖縄の政治状況、歴史なども教えてもらいました。

 

お店を出てホテルに向かう途中、上里市議の知り合いとたまたま会い、流れでもう一軒(笑)。


楽しい時間でした。