昨晩は午前11時半過ぎに帰宅してから、洗濯機をまわし、洗濯物を干し。
今朝もいつものユックリとした5キロのジョグ。
市役所に入って、打ち合わせや決裁など。
午前9時半から、関市消防団の土屋泰弘・団長と面談。
先日の消防安全競技大会の報告とお礼にお越しいただきました。
4年ぶりの開催ということで、進行が予定と異なったところもあったそうですが、これは当たり前のことなので、来年に向けて改善をしていけばよい、と思います。
ちなみに、大会当日の土屋・団長の挨拶時間を計っていたのですが、4分ちょうどでした(笑)。
さらにちなみに、三輪・議長は3分40秒。
私自身は、消防団行事は消防団が主役と考えているので、挨拶はできる限り短くするようにしています・・・先日も1分は超えてない、と思います。
午後1時から、わかくさ多目的ホールにて、中濃労働基準協会の総会に出席。
美濃市・美濃加茂市・関市の事業所が会員となっていて、3市で順番に総会会場の担当となっているようで、今年度は関市での開催。
「慣れ」は必要なことですが、慣れて当たり前になり過ぎると事故に繋がるので、総会や安全大会等で、改めて意識を新たにすることは有意義、という旨のご挨拶。
今日はこの2つの公務以外は、午後7時前に市役所を出るまで、ひねもす庁舎内にて協議。
カンボジアの徒然話・・・松下政経塾の先輩にあたる堀本崇さん。
カンボジアを選んだ理由は、今まで行ったことがない国を見たかった、という単純なもの。
ひとりで行く理由は、普段は職員の皆さんに助けられているので、たとえ短い期間でも言葉もまともに通じない空間にムリヤリ身を置いて、自分自身の力でやり切るため。
2泊4日の強行軍でしたが、この目的は達成できました。
私にとってのもうひとつのカンボジアは、松下政経塾の先輩である13期生の堀本崇さん。
23歳で17期生として松下政経塾に入塾したとき、当時の研修期間の最終年度(5年目)で在塾されていたのが堀本崇さんでした。
堀本さんは、総理大臣を志して松下政経塾に入るも、選挙監視員としてカンボジアPKOに参加したことにより、在塾中からカンボジアの子ども達の支援のために七五三基金プロジェクトを立ち上げられました。
カンボジアにおいて学校や孤児院宿舎の建設に取り組み、日本とカンボジアを往復しながら、熱心に活動をされていました。
松下政経塾は全寮制だったので、塾外での研修以外は基本的に共同生活です。
ひとつのユニットは個室4室と共有部屋1室だったのですが、私の同室は佐賀県庁からと韓国・大宇グループからのインターン塾生と私の3名で、プロパーの塾生は私ひとり。
夜になると、部屋のドアがトントンとノックされ、堀本さんが「尾関、少し話そう」と部屋に入ってきます。
それも毎晩のように。
話題はいつも、
「お前の志は何か?」
と問うもの・・・松下政経塾での入塾願書では、めざすビジョンとして自己実現社会・地方分権・多様性を主張したと記憶していますが、毎晩、自分の述べる考えに対して、堀本さんから突っ込まれていた思い出があります。
良い意味でうんざりしてしまうほど熱い方でした。
堀本さんは卒塾後も七五三基金をアジア子供教育基金と発展的に改名され、在塾中と同じようにカンボジアと日本を往復しながら、カンボジアの子ども達のために活動されていました。
卒塾後はお会いする機会もなかったのですが、2006年、突然に堀本さんの訃報に接しました。
カンボジアにおいて、バイクによる衝突事故により命を落とされた、という連絡でした。39歳の若さでの旅立ちでした。
その後、堀本さんを偲ぶ会で流された映像DVDを送っていただきました。翌2007年のことです。
ずっとDVDを部屋に置きつつも、開けてDVDをプレーヤーにセットする気持ちになれませんでした。
↑ 堀本崇さんの追悼DVD
在塾当時、研修棟内に塾生のための部屋があり、デスクトップパソコンが数台置かれ、国際電話もその部屋からかけると電話代は塾負担でした。(確か)
夜、その部屋でパソコンに向かっていると、先輩方がやってきては国際電話をかけるのですが、堀本さんはカンボジアとの電話の中で何度も「バッタンバン、バッタンバン」と繰り返されたのは、今でも記憶に残っています。
カンボジアのバッタンバン州のことだったのですが、堀本さんがバイク事故で亡くなられたのも、そのバッタンバンでした。
今回のカンボジア訪問で、バッタンバン行きも考えたのですが、シェムリアップから車で3時間ほどかかるので断念しました。
また、先日も書いた通り、カンボジアでバイクをレンタルしようとも考えたのですが、スコールの凄さに諦めたことも事実ですが、堀本さんのバイク事故も頭にあり自重した面もあります。
5月末に日本に帰国してから、実に送っていただいてから16年経って、初めて堀本崇さんの追悼DVDを観ました・・・それも繰り返し。
今から四半世紀以上前、松下政経塾の寮の部屋で、何度も堀本さんと1対1で向き合って、志を問うていただいた日々を懐かしく思い出しつつ、そして、感謝しつつ、さらに畏敬の念を抱きつつ。