今朝もいつものユックリとした5キロのジョグ。
午前9時45分から、わかくさ多目的ホールにて、交通安全指導所。
↑ 市長最後の日ですので、交通安全関係の皆さんにもお世話になったお礼をお伝えしました
↑ わかくさプラザ3館・市役所入り口に分かれて、来場された方に交通安全の啓発活動
↑ 今日は下有知保育園の園児の皆さんが、交通安全宣言をするために来てくれました・・・配布グッズにヤクルトがあったのですが、子ども達、私には興味なく、「ヤクルト、飲みたい」、「ヤクルト、ちょうだい」と言ってました(笑)
その後、本町まちかどギャラリーにて「仲間展」を鑑賞。
12年間、まちかどギャラリーの展示は、可能な限り、覗くようにしてきました。
市長としてお邪魔するのは、今日で最後です。
午前11時に、議長室にて三輪・議長、渡辺・副議長に退任のご挨拶。
大変お世話になりました。ありがとうございました。
午前11時20分に、県市長会の浅野・事務局長と面談。
今年6月まで県市長会長を務めましたので、県市長会事務局の皆さんにもお世話になりました。ありがとうございました。
その後、JC時代からお世話になった方と面談。
一旦、自宅に戻り、退任式のために久しぶりにスーツ・ネクタイに着替えて、午後3時に再び市役所入り。
その後、市長室に飾る写真の撮影・・・これまで公式に使ってきた写真は、笑顔のもので歯が見えているのですが、歴代市長の写真で歯が見えているものはなし。
マジメな顔の写真を何枚か撮影してもらったのですが、結局は、もともとの笑顔の写真を飾ってもらうことにしました。
まぁ、その方が私らしくていいかな、と考えて。
午後4時40分から、庁議室にて部長級以上の最高幹部会議。
改めて感謝をお伝えしました。
逆に、皆さんから高価な選別の品をいただいてしまいました。
ありがとうございました。
午後5時から、6階会議室にて退任式。
・先日の安桜会の懇親会で、H部長に「挨拶は短く」と話したので、今日も長くならないようにします
・12年間を振り返ると、市長である私の力は小さく、市民の皆さん、事業者・団体の皆さん、そして職員の皆さんの力があってこその12年間でした
・ただただ、「感謝」の一言しかありません
・12年間の市政の中で、もし市民の皆さんから評価をいただける点があったとするならば、それはすべて私ではなく、職員の皆さんの奮闘のお蔭です
・一方、市民の皆さんから不足していた、ダメだと言われる点があれば、これは12年間にわたって市長を務めていた私自身の政治家としての力不足、不徳の致すところです
・したがって、職員の皆さんは自信と誇りを持ってもらいたい
・これまで何度も幹部会議等で話してきた通り、関市役所はチャレンジをするところであり、打席に立って良い球が来たら、空振りやボテボテのゴロを恐れるのではなく、思い切りフルスイングをするところ
・これからもチャレンジを続けてくれることを願っています
・明日から山下清司・市長を迎えての新しい市政がスタート、市役所一丸となって関市のために、市民の皆さんのために、働いていただくことを期待しています
・明日からはひとりの市民として、関市役所の皆さんを応援します
・12年間、本当にありがとうございました
午後5時15分過ぎに、多くの職員の皆さんに大きな拍手で見送っていただきながら退庁。
今日は、泣いてしまうかもしれない、と思いつつ、ただし、できる限り、明るい笑顔のままで去っていきたい、と願っていました。
退任式の挨拶の途中、職員の皆さんの顔を見ていたら、一瞬、感情が溢れそうになったのですが、そこは何とか乗り越えました。
しかし、最後に公用車の前で一礼をしたとき、やはりこみ上げるものがありました。
何度も同じことを書きますが、12年間、本当にありがとうございました。
自宅に送ってもらう途中、23歳の息子と20歳の娘から、12年間お疲れ様、というライン。
自宅に戻ったら、妻と両親から退任の慰労として、クラッカーを鳴らしてもらい、退任祝いでいただいたシャンパンと日本酒で乾杯。
妻がケーキを買ってきてくれたので、12本のロウソクを立てて吹き消しました。
退任の記者会見では、あえて家族への感謝は述べませんでしたが、家族はもちろん多くの親戚に支えてもらいました。
市議会議員に当選したときは、息子が小学校1年生、娘が保育園年少。
市長に当選したときは、息子が小学校5年生、娘が小学校2年生。
ずっと心がけてきたのは、
「子ども達が、学校で後ろ指を指されるような政治家には絶対ならない」
ということ。
逆に、子ども達がいたので、まっすぐに歩むことができたかもしれません。
家族、親戚の全面的な支えがあって、5回の選挙戦を経て、16年間半、政治家として職責を全うすることができました。
ありがとうございました。