4月24日のブログ「週末の12キロのジョグ、大垣の守屋多々志美術館、岐阜鹿児島姉妹県 盟約50周年記念式典」
今朝も午前8時から、週末のユックリとした12キロのジョグ。
残り3キロぐらいから、雨が降ってきました。
↑ 津保川・・・暖かくなってくるということは、出水期が近づいてきた、ということでもあります
自宅に戻ってから、洗濯機をまわして、洗濯物を干し。
雨天で外で干せなくても、こういうときは衣類乾燥除湿機が活躍・・・助かってます。
午前から夜にかけて、読みかけの本を読み進め。
「世界の歴史 8」、「図説 世界の歴史 6」、「クリミア戦争 上」、「第四の大陸」、「毛沢東の私生活 下」、「チェンジング・ブルー」、「操作される現実」、「暮らしの中のニセ科学」、「13歳からのアート思考」、「薬師寺の歴史」、「死ぬまでに行きたい 世界の絶景」。
いつもの通り、少しずつ。
以前、市長会の視察で訪問したことがありましたが、今日は改めてユックリと鑑賞。
守屋多々志さんは、鎌倉市大船にずっと住んでいらっしゃったのですが、アトリエ兼自宅は息子・娘が通っていた私立保育園の近く・・・勝手にご縁を感じました。
その後、関ヶ原ふれあいセンターにて、「岐阜鹿児島姉妹県 盟約50周年記念式典」に出席。
式典の中で、鶴丸城御楼門復元事業に携わられた関市の亀山建設株式会社の亀山直央・社長の講演も。
↑ 亀山・社長から少しお話は伺っていたのですが、詳しく復元事業の説明をいただき、御楼門の素晴らしさと、復元のいくつかの高いハードルを超えられたことに感銘を受けました
↑ 御楼門復元事業に提供された岐阜県産ケヤキで製作された薩摩琵琶が、塩田・鹿児島県知事から古田・岐阜県知事へ
私自身、小学校で宝暦治水について授業で教わり、社会見学で千本松原に行ったことを今でも覚えています。
また、日本初の鉄砲(種子島銃)の誕生には、関市出身の刀鍛冶・八板金兵衛清定が関わっており、関市としてもご縁があります。
今日、種子島の八板俊輔・西之表市長も出席されていて、式典終了後、ご挨拶に伺おうと思ったのですが、混雑に紛れてしまいお話しできなかったがが残念でした。
刃物まつり50周年の際には、初代種子島銃のレプリカを西之表市から貸していただき、関鍛冶伝承館に展示しました。
関音楽劇の会の皆さんの音楽劇「海波の音」は、関市での公演を皮切りに、種子島での開催、そして、そこからポルトガルでの公演にまで繋がっていきました。
式典終了後、市役所に入って略礼服に着替えて、午後6時半過ぎに総合斎苑わかくさへ。
職員の御尊父様がお亡くなりになられたので、お通夜前に弔問してご焼香を上げて安らかなるご冥福をお祈り。