「日刊オゼ☆ケン」通信 THE 2nd

「日本一の刃物のまち」前岐阜県関市長「尾関健治」(オゼ☆ケン・オゼケン)の政治活動通信

10月30日のブログ「総合防災訓練、西部ふれまち元気フェスタ、石原通男・先生の告別式にて弔辞、関市美術展表彰式、せきまちなか寄席」

今朝は午前6時15分から、週末ながらユックリとした5キロのジョグのみ。

6時25分に、危機管理課長から公用携帯に「午前6時半から、総合防災訓練の一環で職員の非常参集訓練を始める」旨の電話あり。

 

洗濯機をまわして、洗濯物を干し。

 

午前8時に自宅を出て、防災服を着用して市役所へ。

 

午前8時半前から、市役所2階にて災害対策本部の運営訓練をスタート。

 

早朝に発生した大地震により、関市全域に被害が発生している、という設定で、市民の皆さんの安全確保、情報の集約、関係機関との連絡調整を行う、という内容。

 


↑ 本部長である市長の指示で訓練スタート

 

午前8時半、ヘルメットを被り机の下に入るシェイクアウト訓練。

 

そこからは、市役所に寄せられる情報に、各部各課が対応していく訓練。

 

 

午前10時近くまで訓練を行い、その後、各地域事務所とzoomで繋いで、各事務所長から現地の被害報告。

 

中池体育館で設置した避難所とも繋ぎ、避難者の状況の把握。

 

その後、各部長からその地点での対応報告を行ってもらい、最後に消防長からの講評があって終了。

 

・・・でしたが、最後に私からのお願いとして、訓練時間を短くしても良いので、もっとそれぞれに負荷をかけて、切羽詰まった状態で刹那刹那の判断を求める状況を体験する訓練にしてもらいたい、と伝えました。

 

最悪の想定では、関市でも2万2千世帯強が全壊・半壊・一部損壊等の被害が発生する可能性があり、本当にそういう状況になれば、私も含めて本部メンバーが命を落としたり、大怪我を負ったり、道路が寸断されて登庁できなかったり・・・厳しい状況になることは明らかです。

 

厳しい状況を設定しての訓練で、仮に完璧に対応できたとしても、実際に大災害が発生した状況では、同様な対応は絶対にできません。

 

その後、防災服のまま西部ふれあいセンターへ。

「西部ふれまち元気フェスタ」が、ふれあいセンター・駐車場・小金田中体育館等を会場として開催されました。

 


↑ 家族連れの皆さんで賑わっていました

 


↑ 多目的ホールや駐車場では、防災トイレの展示等も行っていただきました

 

これだけの催しを開催するには、役員の皆さんの大変な努力があったと思います。ありがとうございました。

 

また、各地域でも防災訓練を実施していただき、ありがとうございました。起こっては欲しくない災害ですが、万が一に備えて備えておきましょう。

 

一旦、自宅に戻ってスーツに着替えて、正午前に再び自宅を出て総合斎苑わかくさへ。

 

午後12時15分から、昨晩のお通夜に続いて、恩師であり恩人である石原通男・先生の告別式に参列。

 

一昨日、告別式での弔辞をお願いしたい、というお話をいただき、お受けしたものの、それ以降、最後に何を先生にお伝えするか、ずっと頭の中で考えていました。

 

市役所3階にある市長室には、石原通男・先生の絵が飾ってあります。

 

11年前、市長選を終えて市長に就任した直後、先生からいただいたものです。

 

そのときの先生の条件は、

 

「この絵は、多くの人が観る場所ではなく、できれば市長ひとりの部屋に飾ってほしい」

 

というものでした。

 

私が、「先生、折角いただけるのであれば、多くの人に観てもらった方が良くないですか」と言葉を返したところ、やはり「できれば市長ひとりが観る場所で」というお答えでした。

 

そこで、市長室で椅子に座ったとき、ちょうど先生の絵が観えるように飾らせてもらいました。

 

その絵は「湧出」というタイトルで、その名の通り、まるで太陽やマグマのように勢いよくエネルギーが湧き出てくるような作品です。

 

市長に就任してからの11年間、順調なときばかりではなく、ときには(なんで、自分はこんなことをやっているんだろう)とか、(すべてを投げ出してしまいたい)という考えが、頭に一瞬よぎるときもあります。

 

市長室でひとりで悶々としているとき、ふと目を上げるとそこには先生のエネルギーがほとばしる「湧出」があります。

 

これまで幾度も先生の「湧出」を観て、(いや、これからが勝負のときだ)とか、(たかがこれくらいのことは、当たり前のように乗り切ってみせる)と自らを奮い立たせてきました。

 

11年前、おそらく先生は39歳の若輩者の私が、市長職を担う中でいろいろな悩みを抱えることを見通して、私がひとりで「湧出」と向き合う時間の中で、叱咤激励の想いを伝えよう、と考えていただいたのだと理解しています。

 

市長になってから数年後、そうした先生の思いやりが、やっと分かった気がしました。

 


↑ 11年間、市長室に飾り続けている石原ミチオ先生の「湧出」

 

これまで先生の意思を尊重して、表には出してきませんでしたが、先生、今日はこのエピソードを紹介することをお許しください。

 

石原通男・先生、本当にお世話になりました。感謝の気持ちを言い尽くすことはできません。ただただ、ありがとうございます。

 

これからもご家族の皆様を、先生を慕う皆様を、そして関市を見守ってください。

 

先生のお棺をお見送りしてから、午後2時から文化会館小ホールにて、第72回関市美術展の表彰式。

 

関市制が始まって以来の72年間という長い歴史を持つ美術展です。

昭和36年の第11回からアンデパンダン(無審査)で開催されてきましたが、昨年度から審査方式に変更して実施しています。

 



受賞された皆さんに賞状をお渡しした後、それぞれ受賞された賞ごとに撮影をして、最後は一緒に記念撮影。

 

その後、本町まちかどギャラリーの「陶竹工房 陶芸・竹細工作品展」を鑑賞。

申し訳ないことに丼を1ついただいてしまったので、お礼の意味も兼ねてコーヒーカップを購入。

 


↑ 以前、使っていたマグカップが割れてしまったので、ちょうど(買おうかな)と思っていたところでした

 

早速、自宅に戻ってからドリップコーヒーを一杯。

 

午後5時から、古民家あいせきにて、せきまちなか寄席「寝床の会」へ。

21回目を迎える「寝床の会」ですが、古民家あいせきでは初めて。

 


↑ 午後5時以降に入るのは私も初めてでしたが、高校生の自習はもちろん対話会など、結構、いろいろな使われ方がされてました

 


↑ 小学校1年生の子どもから、玄人はだしの方まで、こちらも多士済々

 

途中、話が飛んでしまうこともありましたが、「寝床の会」はそれも温かく応援する雰囲気で良いですね。

 

中入りも含めて2時間弱、私も楽しませてもらいました。

 

実は2週間ほど前、助六の小林明さんから職員のMさんを通じて、「市長も一席どうか」と声をかけてもらったのですが、とにかく最近はバタバタしているので、ご勘弁願いました。

 

落語好きではあるものの、聴くだけと実際に落語を一席やるのは大違いですよね。

 

夜は久しぶりに家族5人揃って食事。

 

昨日と一昨日の2日間、アルコールを摂りませんでしたが、今晩は石原通男・先生への献杯の意味を込めて飲みます。