「日刊オゼ☆ケン」通信 THE 2nd

「日本一の刃物のまち」前岐阜県関市長「尾関健治」(オゼ☆ケン・オゼケン)の政治活動通信

7月28日のブログ「マーク・アレクサンダー南アラグビー協会長に模造刀贈呈、スプリングボクスのスタッフとの昼食会」

昨晩は機内食を食べたこともあり、レストランで夕食はとらずにチェックイン。

いつもの通り、衣類を洗濯・・・も、浴槽がなかったので洗面台にて。

ただし、エアコンがあったので、ハンガーにかけて温風をあてることができたので、乾きが早くて助かりました。

 


↑ ここで2つ持ってきたカップ麺のひとつを投入・・・お味噌汁もいくつか持ってきてます

 

午後11時にベッドに入ったのですが、寝入りバナの午前11時半に、いきなりけたたましい音のベルが鳴り響き、飛び起きました。

火事でも起こったか、とビックリしましたが、しばらくしたらベル音は止まりました。

 

午前5時に起きて、午前6時前からホテル内のジムへ。

 


↑ 今日もランニングマシーンで10キロのジョグ・・・普段は外を走っていますので、物珍しさはありますが、部屋の中だけで走ると時間がやたら長く感じます

 

部屋に戻ってシャワーを浴びてから、ホテル内で朝食。

昨日もそうでしたが、テーブルの上のカップに、普通はスタッフがコーヒーか紅茶を注いでくれるのですが、周りの西洋人の客には訊いても、私には訊いてきません。

 

2日連続の偶然・・・という可能性もゼロではないでしょうが、おそらくアジア人ということで区別してますね。

まぁ、自分から頼むので、コーヒーは飲めますが。

 

午前9時15分にチェックアウトをして、職員のNさんと通訳のスゼットさんと合流。

スゼットさんは、ケープタウンからヨハネスブルグまで同行してもらいましたが、別々に通訳を頼むより、同行してもらった方が費用が安くなるそう。

 

私達としても、関市とスプリングボクスとの関わりなどを、理解してもらっている通訳の方が助かります。

 

車でヨハネスブルグ北部のサントンに移動して、午前10時半からサントンタワーにて、南アフリカラグビー協会のマーク・アレクサンダー会長と面談。

 


スプリングボクスの4度目の優勝を祈念して、関市からのスプリングボクス仕様の模造刀を贈呈

 


↑ 模造刀を手に一緒に記念撮影・・・いろいろありましたが、ちゃんとお渡しすることができました

 


↑ 会長、「腕が短くて刀が抜けない(笑)」と仰ってました(笑)

 

会長からは、改めて関市のスプリングボクスへのサポートに対して、お礼の言葉をいただきました。

私からは、4年前と同じようにフランスでのワールドカップで優勝することを祈っていること、関市からも応援することをお伝えしました。

 

午前11時過ぎに面談を終え、次の予定までの隙間時間にヨハネスブルグ市内を少し視察。


↑ こちらはマンデラ・元大統領が、大統領時代に住んでいた邸宅


↑ 先ほどの邸宅と近いのですが、こちらは大統領職を退いてから住んでいた邸宅

 

その後、南アフリカ憲法裁判所へ。

 


↑ 警備員がいるゲートを通って入るので安全な場所です

 


↑ 実際の法廷

 

憲法裁判所以外は車中から視察しましたが、交差点ごとに物乞いの人がいたり、スラム住宅があったり・・・ケープタウンにも物乞いの人の姿はありましたが、ヨハネスブルグの方が大きな都市であることもあり、混沌度合いが高く感じます。

 

午後1時前に、昼食会場のホテルへ。


スプリングボクスの選手・スタッフの皆さんが滞在中・・・ホテル前に移動バスがドーンと駐車してありました

 

午後1時から、ホテル内のレストランにて、スプリングボクスのスタッフの皆さんと昼食会。


↑ 私の正面に座っているのがチャーリーさん・・・4年前、最もお世話になった方です

 

4年前、ワールドカップの事前キャンプを、関市もしくは鹿児島市のどちらかに決めるため、単身、視察に来てもらったのがチャーリーさん。

 

関市は小さい市ですが、やれることは全部やろうと、グリーンフィールドの芝生などの施設面はもちろん、日本刀鍛錬や茶道等のおもてなしもしました。

 

今日、5年ぶりにチャーリーさんにお会いしたのですが、とても嬉しかったのは、4年前の関市での出来事を今でもスマホに残していて、当時の写真を他のスタッフに見せながら、楽しそうに話してくれたこと。

 

途中、「関市で女性に会った」という話になったので、(誰のことかな・・・)と考えていたら、チャーリーさんが「この人、この人」と写真を見せてくれたのですが・・・

 

・・・辻屋の女将でした(笑)

 

よっぽど印象に残ったんでしょうね(笑)。

 

会食の途中、4年前の優勝チームのキャプテンだったシヤ・コリシ選手が顔を出してくれました。

 


↑ いやぁ、嬉しいです・・・わざわざ顔を出してくれた心遣いが

 


↑ 4年前、グリーンフィールド中池にて・・・コリシ選手とエラスムス監督と

 

料理自体も、チャーリーさんがシェフ等と相談をして、寿司やお味噌汁、肉料理も牛・豚・鶏と並べてくれ、ワインも赤・白ともに料理に合うものを準備してくれていました。

 

南アフリカの方は、日本と遠く離れていますが、こちらの熱意やおもてなしは必ず伝わりますし、また、それをすごく大事にしてくれます。

 

今回の私達の訪問に関しても、4年前の関市でのサポートに対して、できる限りの歓迎をしてくれた、と思います。

 

・・・ただし、事前の調整は連絡しても返事がなかったり、昨日のように日程がドタキャンされたり、ということはあるのですが。

私は苦労しませんが、調整する職員が大変でした。

 

4年前のキャンプ対応の時も、やはり連絡がなかなか取れない、と職員は嘆いていましたので、このあたりは国民性の違いでしょうね。

 

元々はコロナ禍の前、東京オリパラのコートジボワールのホストタウンに、岐阜市とともに関市がなったので、オリパラ前にコートジボワールを公式訪問をして、関市はその時に一緒に南アフリカを訪問する予定で予算も決まっていました。

 

しかし、ちょうど世界的にコロナ感染が広がりつつあるタイミングだったので、残念ながら訪問は見送らざるをえませんでした。

 

今回、時期はかなり遅くなってしまいましたが、やっとのことで計画していた南アフリカラグビー協会の訪問を果たすことができました。

 


↑ 最後に一緒に記念撮影

 

ホテルを出て、そのままヨハネスブルグの空港へ。

3日間お世話になった通訳のスゼットさんとはここでお別れ。

 

ラウンジで時間調整をして、午後6時前のフライトでパリへ。

 

ピッタリ13時間のフライトでしたが、今回はプレミアムエコノミーかつ通路側の席でしたので、気持ち的にもかなり楽でした。

 

現在、パリの空港で乗り継ぎの時間調整のためにラウンジで待機中。

 

今は現地時間で午前8時15分・・・2時間後のフライトで、最終目的地のブラジルに向かいます。