「日刊オゼ☆ケン」通信 THE 2nd

「日本一の刃物のまち」前岐阜県関市長「尾関健治」(オゼ☆ケン・オゼケン)の政治活動通信

9月12日のブログ「ひねもす退任のご挨拶まわり、必ず隣あり」

今朝もいつものユックリとした5キロのジョグ。

 

午前8時半過ぎに自宅を出て、中部学院大学・短期大学から、退任に向けてのご挨拶まわりをスタート。

 

土屋・消防団長、遠藤・貝印グループ会長、常川・サンテイ社長(国際交流協会長)、野田・野田建設社長、丹羽・薬剤師会長、加藤・OKB関支店長、加藤・新東建設社長。

 

ここで一旦、市役所に入り、打ち合わせや決済など。

 

午後1時半から、再び挨拶まわりをスタート。

 

勝村・中濃厚生病院長、大山・歯科医師会長、板津・富加町長、柴山・坂祝町長、加納・七宗町長、佐藤・川部町長(名刺ご挨拶のみ)、金子・八百津町長、植松・関中央病院長、鈴木・商工会議所会頭(刃物連合会長)。

 

本来であれば、お一人ずつ、もしくは、各団体について、どのように市政運営にご協力をいただいたか、紹介すべきだと思いますが、とても書ききれないためご容赦ください。

 

改めて、心より感謝申し上げます。

誠にありがとうございました。

 

午後6時から、定期的に声をかけていただいている懇親会へ。

これまで何度か難しい状況に陥ったとき、その度に実際の行動で助けていただいたり、アドバイスをいただいたり、お世話になりました。

 

私自身、自宅の裏にある竹藪の竹の如く、

 

竹を割ったような

 

人間でありたいな、といつも思っていますが、お世話になっている方々も、曲がったことが嫌いなまっすぐな方々です。

 

毎回、ありがとうございます。また、今後ともよろしくお願いいたします。

 

今朝の岐阜新聞の市長選に関する記事の中で、出口調査での「現市政の評価」の結果が掲載されていました。

 

 

選挙で政党や団体・組織から推薦をもらわなくても、値上げ等で批判は受けることがあっても、市民の皆さんは必ず見ていてくれるはず、「必ず隣あり」と自分自身に言い聞かせてきました。

自分自身のこの考えは、決して間違っていなかった、と思います。

 

今月の広報せきに、最後のコラムを掲載しました。お読みいただいた方もあるかもしれませんが、ブログにも再掲します。

 

9月21日をもって、12年間の市長の任期を終えます。

市長に就任して2年目、岐阜新聞の「素描」に書いた最終回の文章を掲載します。

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「必ず隣あり 」      

一昨年9月に市長に就任してから、1年半がたった。日々、大小問わず多くの判断をしているが、その基準はシンプルだ。    関市のためになるか、市民のためになるか、という観点のみ。  

「今現在」だけでなく、たとえ今は批判を受けても、子どもや孫の世代の「将来」も考えて結論を出す。    

自分の評判を高めようとか、私欲を得ようという邪念がなければ、正しい判断が下せるはず―いつも、こう天に祈っている。    

私たち人間に人柄や品性を表す「人格」があるように、市にもそれぞれ「市格」がある、と思う。    

それを誰が作るか、と言えば、それぞれ地域に暮らす住民一人ひとりしかいない。そして、市長である私の全人格が、市役所職員に、そして市全体に影響を及ぼす。大袈裟かもしれないが、私はそう信じている。      

 市立関商工高校の校長室に「必有隣」と書かれた額があることを、議員時代に教えてもらった。    

 「徳は孤ならず、必ず隣あり」    

という論語の言葉だ。    

報いを求めず陰徳を積む者は、決して一人ぼっちではない。必ず誰かがどこかで見ていて、協力をしてくれる、という意味である。        

人間の命が必ず尽きるように、政治家としての命を終えるときがくる。    

それがいつなのか、自分でも分からない。しかし、虚栄心が生まれ、「必ず隣あり」と信じられなくなったら、自ら幕を下ろすときだ。    

逆に言えば、そのときが来るまで、いつも夢を持ち、前を向き、真摯に、元気に、日々チャレンジを続けるつもりだ。      

 この道を行く。まっすぐに、ただ、まっすぐに。

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12年間、まっすぐに走り続けてこれたのは、市民の皆様のお支えがあってこそ、です。心から感謝を申し上げます。

ありがとうございました。