「日刊オゼ☆ケン」通信 THE 2nd

「日本一の刃物のまち」前岐阜県関市長「尾関健治」(オゼ☆ケン・オゼケン)の政治活動通信

9月21日のブログ「交通安全指導所、退任式、12年間ありがとうございました」

今朝もいつものユックリとした5キロのジョグ。

 

午前9時45分から、わかくさ多目的ホールにて、交通安全指導所。

 


↑ 市長最後の日ですので、交通安全関係の皆さんにもお世話になったお礼をお伝えしました

 


↑ わかくさプラザ3館・市役所入り口に分かれて、来場された方に交通安全の啓発活動

 


↑ 今日は下有知保育園の園児の皆さんが、交通安全宣言をするために来てくれました・・・配布グッズにヤクルトがあったのですが、子ども達、私には興味なく、「ヤクルト、飲みたい」、「ヤクルト、ちょうだい」と言ってました(笑)

 

その後、本町まちかどギャラリーにて「仲間展」を鑑賞。

12年間、まちかどギャラリーの展示は、可能な限り、覗くようにしてきました。

市長としてお邪魔するのは、今日で最後です。

 

午前11時に、議長室にて三輪・議長、渡辺・副議長に退任のご挨拶。

大変お世話になりました。ありがとうございました。

 

午前11時20分に、県市長会の浅野・事務局長と面談。

今年6月まで県市長会長を務めましたので、県市長会事務局の皆さんにもお世話になりました。ありがとうございました。

 

その後、JC時代からお世話になった方と面談。

 

一旦、自宅に戻り、退任式のために久しぶりにスーツ・ネクタイに着替えて、午後3時に再び市役所入り。

 

その後、市長室に飾る写真の撮影・・・これまで公式に使ってきた写真は、笑顔のもので歯が見えているのですが、歴代市長の写真で歯が見えているものはなし。

 

マジメな顔の写真を何枚か撮影してもらったのですが、結局は、もともとの笑顔の写真を飾ってもらうことにしました。

 

まぁ、その方が私らしくていいかな、と考えて。

 

午後4時40分から、庁議室にて部長級以上の最高幹部会議。

改めて感謝をお伝えしました。

逆に、皆さんから高価な選別の品をいただいてしまいました。

ありがとうございました。

 

午後5時から、6階会議室にて退任式。

 

 

・先日の安桜会の懇親会で、H部長に「挨拶は短く」と話したので、今日も長くならないようにします

・12年間を振り返ると、市長である私の力は小さく、市民の皆さん、事業者・団体の皆さん、そして職員の皆さんの力があってこその12年間でした

・ただただ、「感謝」の一言しかありません

・12年間の市政の中で、もし市民の皆さんから評価をいただける点があったとするならば、それはすべて私ではなく、職員の皆さんの奮闘のお蔭です

・一方、市民の皆さんから不足していた、ダメだと言われる点があれば、これは12年間にわたって市長を務めていた私自身の政治家としての力不足、不徳の致すところです

・したがって、職員の皆さんは自信と誇りを持ってもらいたい

・これまで何度も幹部会議等で話してきた通り、関市役所はチャレンジをするところであり、打席に立って良い球が来たら、空振りやボテボテのゴロを恐れるのではなく、思い切りフルスイングをするところ

・これからもチャレンジを続けてくれることを願っています

・明日から山下清司・市長を迎えての新しい市政がスタート、市役所一丸となって関市のために、市民の皆さんのために、働いていただくことを期待しています

・明日からはひとりの市民として、関市役所の皆さんを応援します

・12年間、本当にありがとうございました

 

午後5時15分過ぎに、多くの職員の皆さんに大きな拍手で見送っていただきながら退庁。

 

 

 

今日は、泣いてしまうかもしれない、と思いつつ、ただし、できる限り、明るい笑顔のままで去っていきたい、と願っていました。

 

退任式の挨拶の途中、職員の皆さんの顔を見ていたら、一瞬、感情が溢れそうになったのですが、そこは何とか乗り越えました。

 

しかし、最後に公用車の前で一礼をしたとき、やはりこみ上げるものがありました。

 

何度も同じことを書きますが、12年間、本当にありがとうございました。

 

自宅に送ってもらう途中、23歳の息子と20歳の娘から、12年間お疲れ様、というライン。

 

自宅に戻ったら、妻と両親から退任の慰労として、クラッカーを鳴らしてもらい、退任祝いでいただいたシャンパンと日本酒で乾杯。

 

妻がケーキを買ってきてくれたので、12本のロウソクを立てて吹き消しました。

 

退任の記者会見では、あえて家族への感謝は述べませんでしたが、家族はもちろん多くの親戚に支えてもらいました。

 

市議会議員に当選したときは、息子が小学校1年生、娘が保育園年少。

市長に当選したときは、息子が小学校5年生、娘が小学校2年生。

 

ずっと心がけてきたのは、

 

 「子ども達が、学校で後ろ指を指されるような政治家には絶対ならない」

 

ということ。

 

逆に、子ども達がいたので、まっすぐに歩むことができたかもしれません。

 

家族、親戚の全面的な支えがあって、5回の選挙戦を経て、16年間半、政治家として職責を全うすることができました。

 

ありがとうございました。